おぼろげ坂

おぼろという人の日記。上がってるのか下がってるのか。分からないけど、あろほもーら。

意味や目的は、さがすものじゃなく邂逅するものだ。

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大学生の人と一緒にドリアを食べる機会があった。その人は、どうしようもなく「なんかやりたい!」という衝動はあるんだけれど、いざその正体を考えると、何をするための衝動なのか分からないと言う。話を聞きながら、「そうだよなぁ」と思った。僕にも同じような気持ちがある。明確な目的を持って物事に取り組んでいる人はすごいと思う。僕には何かそういうものはあるだろうか、胸に手を当てて考えてみた。なるほど。分からん。何故ブログなんか書いてるんだろうか。

 

理由を探せばいくらでもでてくるんだけども、でも全部違う気もする。一週間連続で「何故書くか?」って質問されたら、毎日違う答えを言いいそうだ。今日の答えは、そうだな、「クールな奴だと思われたいから」でいこう。僕は気の許せる人に会った途端に、自分の話を聞いて欲しくてしょうがなくなる。思ったことは取り敢えずどこかに吐き出さなくちゃいけない気分になるんだ。でもそれだと、うるさいおしゃべりな奴になってしまうからおそらく誰も見てないであろうブログに吐き出しといて、あとは灯油の切れたストーブみたいに沈黙する。超クールだ。

 

 

 

ガラクタを拾い集める

取り敢えず毎日文章を書いてる。僕に職業はないし、学校なんてもちろん行っていない。本もあんまり読まずに生きてきた。不思議なもので、いかにも書くことすらなさそうなこの僕にでも文章は書けるもんだ。書くことは日々の中に溢れてるし、わざわざおっきなテーマをかかげなくても勝手に湧き出る。あるいは、文章を書くことはガラクタを集めるということなんだとも思ってる。余った野菜で簡単なサラダを作っちゃいましたの如く、なんかその辺に落っこちてるものを拾い集めて形にしてみると「俺は昔からこんなのが作りたかったんだ!!」的なものができてしまったりする。案外、なんだってそういうもんなんじゃないかなと思う。

 

逆に「俺はこれで行く!」って確固たるものを背負って意気込む人ほど、その重さによろけて勢いを失くしてしまう場合もあるんじゃないかな。「自分は何も持ってません」と言う人は結構いるが、彼ら(僕も)に必要なのは「使命」的なものよりも、何かを始めるのにもっともらしい理由よりも、決意よりも、ただ、ガラクタなんじゃないだろうか。たまたま目の前に落ちてたガラクタと睨めっこできるかどうか。いっちょ乗っかってみれるかどうか。何年前かの中学生時代によく聴いていた一曲のレゲエソングで、アーティストが音楽を始めたときのことをいい感じに歌ってる歌詞があります。

 

 


何をやっても三日坊主 いつも言われる さぼり上手
また同じ日々を繰り返す 明日やるってまたごまかす
このままじゃ何も変わらない 何がしたい? それすらもわからない
こんなはずじゃない 子供みたいって このままじゃ 危ない

でも突如、自転車見つけたかなり大きな 足は着けへんわまぁ乗ってみようか
ってな感じだ始めた理由は 行けるとこまで行ってみようかな
だが簡単じゃねえな ここで止まるわけにはいかねぇわ
足はパンパンではちきれそうだ 降りたら負けだなんて分かるわ

 

 

 

意味や目的は、さがすものじゃなく邂逅するものだ。


もうなんか、意味とか、目的とか、そんなのはどうだっていいんだと思う。後から考えればそれっぽいのが見つかるんだ。自分は何をするために産まれてきた?なんて考えだしたらキリが無い。たまには考えたくもなるけどね。言うなれば死ぬためであり、戦うためであり、誰かを幸せにするためであり、ラーメンを食べるためでもある。いろんな瞬間に、「このためだったのか!」って思う。僕らは、自転車を見つけたら乗って、漕げばいいだけのことだ。道中、素晴らしい人や、反吐が出るような人、仙人みたいな人に出会う。美しい景色を見る。おいしい食べ物屋さんを見つける。「このための自転車なんだな!」って思う。あるいは、自転車なんてくだらないから捨てて歩く。そういう感じでいけばいいんだと思う。意味や目的は、探すものなんかじゃなくて、邂逅するものなんだ。

 

おぼろ

 

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意味や目的は、さがすものじゃなくて邂逅するものだ。【3/12 おぼろげ坂】