おぼろげ坂

おぼろという人の日記。上がってるのか下がってるのか。分からないけど、あろほもーら。

木登りのできない猿こそ全ての始まり。

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ハジメマシテ!

簡潔に自己紹介を。

ブログ【おぼろげ坂】に奇跡的に訪れてくださった皆様へ。まずは自己紹介をさせていただきます。初めまして!「おぼろ」と言います!ぶっちゃけ名前なんてどうでもいいので、おぼろでもそぼろでもなんでも覚えてくださればそれで幸せの極みです!男か女かで言えば男にあたります!職業はございません!年齢は忘れました!奈良県で暮らしてます!好きな食べ物はラーメンです!以上!はい。自己紹介が終わりました。このブログは、僕、おぼろという人間の日記、随筆的なものになります。読むとあなたの人生に役立ったりは、するのかどうか。。分かんないけど、もしかしたらこんな僕でも何かを与えることができるのかもしれないという希望から僕は書きます。

それともう一つ、生きづらさから僕は書きます。これを読んでくれているあなたは、現実の世界で、言いたいことを、言いたいときに、言いたかった形で口から放つことはできますか。僕にはそれができない。人の前に立つと緊張するし、言いたかったことを言おうとしたら整理がついてなくてアレだし、目は泳ぐし、声はすぼむし、あれ、何が言いかたったんだ。まぁ、分かってくれたかもしれないけど、僕は「簡潔に話す」ことができません。言いたいことはは右往左往するし、これからこのブログを読み続けてもらえれば分かると思うけど、僕は自己矛盾の塊のような存在で、とにかく不確かだ。ぼんやりしてて、それこそ「おぼろげ」だ。だから、何かにつけて「はっきりしろ!」と迫ってくるこの世の中が生きづらい。日々の思いを綴ることで、この【おぼろげ坂】というブログが僕の居場所になればいいと、そう思います。どうぞよろしくお願いします。

 

 

あろほもーら。

いつの頃だったか、僕は寝る前に、必ず母に本の読み聞かせをしてもらってた時期があった。それがなければ寝れなくて、膨大な量の睡眠学習を施してもらった。今思うと、大きくなってから受けた学校の授業なんかよりも遥かに「母の読み聞かせ」が僕を作り上げてくれたような気がする。自分じゃ大して本も開かなかったくせに、今こうして文章を書こうと決意したのはそのせいかもしれない。特に記憶に残ってるのは、ハリーポッター。賢者の石(第1巻)から死の秘宝(最終章)まで、全部読んでもらった。映画は何度も何度も見た。ハリーポッターでは、「アロホモーラ!」という呪文が出てくる。「開け!」の呪文で、使ったら鍵が開きます(初級呪文らしいから、ハリーポッターの世界で普通の鍵はどうせ開けられる運命)。

 

僕は、「開く」という言葉が自分のキーワードだと思う。僕はいつも無意識のうちに「閉じる」方向に進んじゃうんだ。初めての人と話すときもそうだし、何か行動を起こすときもそう。どうすれば自分を閉じたまま、都合よく、穏便に、事が進んでくれまいか、なんて。でも本当は、自分を完膚なきまでに曝け出して、みんなに許容してほしい。そしてみんなも、僕に自分を曝け出してほしい。とか願っていたりする。僕の最大の自己矛盾だ。だから、それこそ「呪文」のように、アロホモーラ!開け!ごま!!と、自分自信に杖の先っぽを向けて唱え続けることをやっていく必要があると思う。本性がバレることを恐れず、バカを丸出しにして、失敗にこちらから突っ込んでいく。文章を書くことで、少しは自分を開くことになればいいなぁと思う。

 

木登りのできない猿こそ全ての始まり。

じゃあ、本日最後の話を。人間の祖先は、サルか、サルに近い生き物だったって言われてる。「ヒトはサルから進化した」と思われがちだけど、また違った捉え方もある。ヒトは、木に登りそこねたんだって。地上をうろつく猛獣からうまいこと逃れることができて、安全に木の実を頬張る猿と違い、ヒトの祖先様は木登りのできない落ちこぼれ。もしかしたら絶滅の運命を背負う生き物だった。だから孤軍奮闘、棒を振り回したり、石を投げたり、火を起こしたりたりして命からがら生き残り、そこから文明が発展した(という話がある)。僕はこの「人類の祖先木登り失敗説」を聞いたとき、ものすごい腑に落ちた。腑に落ちた、、というより、安心したって言ったほうがいいかな。だって、「できない」ってすげえ!!と思ったから。

 

現時点で人間とお猿さん、どっちが幸せかなんて計れない。人間の世界はややこしくて気持ち悪いし、こっちのほうが不幸なのかもしれない。だけど、どんどん新しい世界を創り移り変わってきた人間に比べて、猿は長い時を経ても、良くも悪くもほとんど変わらず猿のままでいる。大昔、僕らの祖先様がいとも簡単にスルスルっと木に登って楽しく暮らしていたなら、僕らはいないのかもしれない。環境に適応できるかどうかの話。日本の社会でも、学校の勉強を難なくこなして、芝居掛かった愛想笑いなんかを振りまいて人の輪に上手いこと溶け込めるような人は、それだけで生きていけちゃったりするのかもしれない。できないやつに、「進化する権利」が与えられるんじゃないかなって思う。僕ももちろん、木登りのできない猿だ。環境に適応してたら、わざわざブログなんて書くもんかいな。だから僕は信じてます。木登りのできない猿こそ、全ての始まりだって。とりあえず今日、ブログを始めました。

 

おぼろ

 

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木登りのできない猿こそ全ての始まり。おぼろげ坂 より^^