おぼろげ坂

おぼろという人の日記。上がってるのか下がってるのか。分からないけど、あろほもーら。

僕は好きなようにぶん回すから、世界も好きなように回れよ

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純粋な気持ちっていうのはたまに残酷だ(恋の話じゃない)。自分で大事に持っている分には温かくて安心感を纏っているんだけれど、人に伝えようとすると急に雲行きが怪しくなる。伝えたい相手めがけて振りかぶって投じたものの、弾き返させれたらまだ良いがよけられたときには弱る。受け止める勇気も弾き返す勇気も持ち合わせていない人は、何事も無かったかのようにおしゃべりをする。そういう人は、口をパクパクさせてるだけで言葉なんて発していない。。この感覚、伝わったでしょうか。

 

 

正直者にはドラマが。

純粋な思いをよけられたら悲しい!けど、その中にもたくさんの気づきがある。「あ、よけられるんだ」とか。投げてみるだけで何かは変わるみたいだ。そうやってちょっとずつでも正直にならないと、驚くほどなんにも起きないんだ。今日何をやってたかすらも思い出せなくなるかもしれない。そんなつまらない気分のとき僕は思う。ドラマが足りてないぞ!って。ドラマと言ってもそんな大層なものじゃなくて「ずっと思ってたけど言えなかったことを友人に言ってみたら勃発した口喧嘩」とかでもいいと思う。これは僕があんまり良い人じゃないことを示唆してるみたいだけど、自分的に良い発見やら言葉が湧く時って、誰かと口論になってる最中だったりするから口喧嘩は僕にとっての好機だ。それは、閉じてた頭の中の扉が、思わぬ拍子にパカっと開いてそこに新鮮な風が吹き抜けるような。

 

表面を取り繕って生きると退屈が待ってる。正直になるとドラマが起こりやすいんだと思う。ほんの少しの勇気で吐き出した短い言葉でも、現実を突き動かし思わぬ展開を見ることができる。ほんの少しの勇気でいいんだと思う。いずれにしても、「面白いことないかなぁ」なんて呟きながら無難に生きてたってどうにもならない。自分の人生を躍動させるには、自分の思いに真っ直ぐな行動なり言葉なりを発する必要がありまくるんだと思う。時には誰かを傷付けてしまうことも否めないが、それも誰かのドラマを動かしたとも言えるんじゃないだろか。おぼろ的には、挨拶と「ありがとうござます」にありったけの気持ちを込めることができれば、まぁある程度の言動は結果的に許されるしなんなら愛されるという仮説がある。

 

 

僕は好きなようにぶん回すから、世界も好きなように回れよ

そもそもなんで正直でいることに勇気が必要なんだろうか。何がそんなに怖いんだろう。嫌われることか。笑われることか。今まで不具合も無く良い感じに回っていた何かが、自分のせいで回らなくなってしまうことか。あなたは一体なんの均衡を保とうとしてる?どんなに悩んでも、どんなに空気を一生懸命読んでも、世界は勝手に回っていくし時間は過ぎていく。物事は進む。と、いうことに僕は、遅ればせながら最近気づいたんだ。世界は好きなように回る、だから僕は「自分」を好きなようにぶん回すんだ。僕にはなんの均衡も保てやしないし、臨んだところで世界は変わってくれるわけじゃない、隣にいる人が思い通りの行動をしてくれるわけじゃない。「勝手にしなさい」って感じだ。その代わり僕も好きなように生きるから。勝手に生きながら、勝手に回っている世界を見ているのは案外、悪くないんだと思う。

 

 

おぼろ

 

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僕は好きなようにぶん回すから、世界も好きなように回れよ 【3/20 おぼろげ坂】